旧統一教会に解散命令
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安部元総理を殺めた原因だったし、致し方なし。
なぜどの宗教でも信者は「神は愛にあふれたお方」と一様に言うのか
一度も宗教に所属したことがない人には分かり辛い、信者であれば感じ続けている心理があります。
啓典の内容が、神が国民を殺しまわるという邪悪な内容であったとしても、なぜか信者は一様に「神は私も皆も愛していて、神は愛にあふれているお方だ」と言います。
それはなぜなのでしょうか。
・啓典は関係ない
・お祈りの心理状態
心の中に神を作る。
心の倫理領域の聖域スペースに神を作成。ここにアクセスするとき、啓示と呼ばれることがある。
宗教ではお祈りを教える
宗教では啓典の学習とお祈りを教えます。お祈りは非常に内省的な行為です。
自分を超越した倫理観(大義)を学び、自分は神の大義を成就させるためにこれに従うべきだという意識を作る。
・無私の領域にその宗教の神の大義の空間を作成。無私には中々なれないため、普段はアクセスできない。以降、この精神領域を神の聖域と呼ぶ。
心の倫理領域の聖域スペースに神を作成。
神の聖域にアクセスするとき、啓示と呼ばれることがある。
余談ですが、人間が気を負いすぎて病気になるパターンは2つあります。
・他人との対話を完璧にこなすために自分を擬態して気を使いすぎて疲れて病気になるという気配り症
・自分の我を通しすぎて他人と対話がままならずに嫌悪されて病気になるという我通し症
日本人には比較的気配り病が横行しているものと思うのですが、信者にはかなり我通し病が多く感じられます。気配り病は表に出ない病気であり、私が認知してないだけだということかもしれませんが、それにしても我通し病の割合がかなり高い気がします。
啓示を受けた時の心理状況:啓典の内容に関係ない
啓示とは・
つまり啓典よりもお祈りでできている。
実際は自分の思い込みが目の前の現実よりも強い人。人の話を聞くよりも自分の話をしがち。空気を読まずに宗教の教えをごり押しするのを宗教側が肯定するため、空気読めなくて変な人基準を満たす人が多い。
書物は基本聖書しか読まないので、物事を適切に判断する知識(道具)が少ない。変な人という行動基準を満たしやすい。
自分が変な人になったのは宗教のせいだ、と判断できるほどの洞察力が付くことはない。
信者は勝手に神の愛を感じて勝手に神を解釈し、勝手に自宗教を誤解して依存していっています。
神からの啓示が常に正しい訳
あなたが神から「炒飯を作れ」と啓示を受けて啓示者として炒飯を作ってみた場合の信者の反応の例は下記。| 炒飯が美味しかった場合 信者「美味しくて成功しているからこれは神からの啓示。神の大義素晴らしい」 |
炒飯が普通だった場合 信者「普通だけど彼が成長するために神は啓示を与えられたんだね。神の大義素晴らしい」 |
炒飯が不味かった場合 信者A「この味を望んでいる他の人がいるのだろう。神の大義奥深い」 信者B「いや彼、思いこみ激しい変な人なんでこれは神からの啓示ではないよね」 |
信者が啓示者に出会ったとき、その啓示者の人間性の加減で啓示を都合よく解釈します。
啓示が成功だった場合は神の啓示は正しいことになり、
もし啓示が明らかな失敗だった場合、
①人間性が良い人が啓示者の場合、神の大義だから長い目から見たら失敗じゃないと考える(啓典の中に神は信者に失敗を与えられるという例が存在する)
②ピント外れな思い込みによる言動が多くて周りに変人だと思われている場合、神の大義は関係なくて啓示者の奇行だと捉えられる
という具合に神の啓示の真偽は保留されます。
よって信者にとって神の啓示が失敗する例は存在しないので、神の啓示は常に正しいことになります。
信者はこの都合良く解釈されている神からの啓示の構造を把握することはないです。
信者が神からの啓示の構造を把握できない理由
末日聖徒イエス・キリスト教会の月刊誌リアホナより。
www.churchofjesuschrist.org
| ①子供たちは親を完全に信頼しています 信者たちは自宗教の提示する教育に対し、その教育は自身の理解の範疇を超えた大義・計画なので盲従しなければならない。 |
②子供たちは教えられたことに疑問を抱きません 信者たちは自宗教の教えが世間体と乖離していても疑問を提示してはならず、盲従し続ける。 |
③子供たちは確固とした信仰を持っています 信者たちは確固として自宗教の教えを実践し、信仰を持っていると周囲に証明しなければならない。 |
このテキストは明らかに宗教運営者に雇われた人間の手によって書かれたいつもの信者コントロールの記事なのですが、信者にとっては自宗教の教材の一つであり、神からの言葉です。
(上記をかみ砕いた文章)
上記のように、信者は宗教運営者の思想に盲従するよう日頃から訓練されているため、神からの啓示の構造を考えることができなくなっています。はたから見てかなり馬鹿々々しいですが、事実このコントロールで信者が信者で居続けるには十分な効力があります。
宗教は神をどう扱うのか
宗教運営側は明らかに信者が勝手に不安になり、神からの啓示を勝手に受けて、世間体のずれた言動をしまくって乱痴気騒ぎを起こしている現状を知っていて野放しにしています。新NISAのオルカンが凄い。あと宗教の献金って邪悪だよね
オルカン凄い
今、新NISAが凄いんですよ。オルカンが年間利率が20%行くレベルで利回り良いです。100万円を投資したら一年後に120万円になるレベル。しかも無税。現在100万円を投資してますが、半月で1万2千円利益が出ました。完全に不労収入です。持ち金全部突っ込んでやろうかと。
ぜひ皆様もSBI証券とVPASSで新NISAを始めてください。
今後、医療長寿のご高齢の方々に対して、働く人数足りてない若者たちが血税を注いで支えていかなければならなくなります。税の比率は大きくなるのが目に見えており、普通に貯蓄を得るのが段々厳しくなると思います。
ぜひ今のうちに皆様も新NISAをして、1800万円溜めましょう。非課税枠が1800万円に近付いたら10万円ずつおろしてお小遣いとして自由に使うのですよ。FIREも可。
宗教献金は信者に還元しない
ではエホバの証人さん。いや別にエホバの証人に限らず宗教全般の話なのですが、とりあえず目についたんで、エホバの証人さん。信者はきたるハルマゲドン(要は社会崩壊レベルの天変地異)で天国に行くためにほぼ全財産を寄付して、清貧を超えて貧困生活に陥っている人が多いわけなのですが。
エホバの証人事態は1870年設立なので2024年現在で154年経っており、1870年設立当初と同時期にハルマゲドン到来を信じて入会した信徒は事実ハルマゲドンに会うことなく寿命で全員亡くなっているので、客観的に見ればエホバの証人のハルマゲドン自体はもう勧誘のための嘘だと確定しています。ですが現代の信者は未だにハルマゲドンを本気で信じて献金をして貧困になっています。
ameblo.jp
エホバ神は全知全能なのですが自分自身でお金を稼ぐ能力がなく、お金の使い方が絶望的に下手で常にお金が足りず、お金を出し渋る信者には怒って地獄に突き落とします。けれど信者を愛しています。
そんなDV旦那そのものの生態をしたエホバ神を信者は本気で信頼して沢山献金しました。1000万円レベルの人も多いでしょう。
その莫大な献金、信者にいくら還元しましたか。貧困生活に陥ってる信者が多いのに。
今から新NISAを15年かけて1000万円投資したとしましょう。1年で66万円のペースで、新NISAの複利は9.5%/年(オルカンの平均値)だとします。
01年: 730,000円
02年: 1,529,350円
03年: 2,404,638円
04年: 3,363,078円
05年: 4,412,571円
06年: 5,561,765円
07年: 6,820,133円
08年: 8,198,046円
09年: 9,706,860円
10年:11,359,012円
11年:13,168,118円
12年:15,149,089円
13年:17,318,253円
14年:19,693,487円
15年:22,294,368円
15年経てば2229万円です。2.2倍ですね。
今からエホバ神に15年かけて1000万円投資したとします。1年で66万円(投資額確認不能、引き出し不能)のペースで、エホバ神からの複利はN%/年(確認不能)だとします。
01年:問い合わせても確認不能- 666,667円(投資額を引き出せないので実質0円)
02年:問い合わせても確認不能- 1,333,333円(投資額を引き出せないので実質0円)
03年:問い合わせても確認不能- 2,000,000円(投資額を引き出せないので実質0円)
04年:問い合わせても確認不能- 2,666,667円(投資額を引き出せないので実質0円)
05年:問い合わせても確認不能- 3,333,333円(投資額を引き出せないので実質0円)
06年:問い合わせても確認不能- 4,000,000円(投資額を引き出せないので実質0円)
07年:問い合わせても確認不能- 4,666,667円(投資額を引き出せないので実質0円)
08年:問い合わせても確認不能- 5,333,333円(投資額を引き出せないので実質0円)
09年:問い合わせても確認不能- 6,000,000円(投資額を引き出せないので実質0円)
10年:問い合わせても確認不能- 6,666,667円(投資額を引き出せないので実質0円)
11年:問い合わせても確認不能- 7,333,333円(投資額を引き出せないので実質0円)
12年:問い合わせても確認不能- 8,000,000円(投資額を引き出せないので実質0円)
13年:問い合わせても確認不能- 8,666,667円(投資額を引き出せないので実質0円)
14年:問い合わせても確認不能- 9,333,333円(投資額を引き出せないので実質0円)
15年:問い合わせても確認不能-10,000,000円(投資額を引き出せないので実質0円)
15年後では今まで1000万円投資していたはずですが、金額の確認はできませんし、投資額を引き出せませんし、なんら還付金もありません。実質0円です。どこに消えたのやら。
1000万円あれば一人産めて、エホバ神を愛する信徒をもう一人増やせるのですが、エホバ神は信者が増えることに全く興味がなく、お金のことがひたすら大好きです。
エホバ神さん。あなたの全知全能を使って献金を2.2倍にして、あなたを愛する信者に対して貧困で大変だったねと言ってお金を返したりしないんですか。これからも、信者からむしり取ったお金を全額自分のものにして、献金出し渋る信者に対して地獄に叩き落とすぞと脅しをかけ、札束を数えながら、貧困の信者に静観決め込むんですか。全知全能なのに割とかなり人間性最悪ですよ。ノブレス・オブリージュって言葉知らないんですか。
信者はこんなエホバ神に対し、安心声で「エホバ神は実在し、私を愛し、私たちを愛している」となぜか代弁しています。誤解です。エホバ神の何を知っているのでしょうか。エホバ神も誤解が過ぎて困惑しているのではないでしょうか。信者の物事の見えなさには狂気を感じますね。
今後また日本の税率が上がるとエホバ神さんを愛する信者はより生きるのが厳しくなるのですが、さてエホバ神さん、まだお金抱えて静観決め込むのですか。
いや宗教に何十年もどっぷりなのに神の生態をきちんと頭の中でまとめられるほどの学習能力が全く育っていない信者も大概やばいのですが、エホバ神というキャラを使って信者から献金絞るエホバ運営者には信者の生き死になんてどうでもいいという価値観が顕著に表れてて邪悪さすら感じます。
コロナで世界の終末が訪れるわけない件について。あと生存報告
コロナ始まったころ、各宗教の指導者様が集まってコロナ終息を願いお祈りを捧げてくださった徳高い出来事がありました。その指導者様たちの動機は一転も曇りなくて非常に素晴らしいと思います。しかし実際そのお祈りの効果はまるで何もなかったかのようにコロナは広まり続けて今の私にまで届いて今死にそうなのですが。
指導者様は意識が世間体と乖離している故に自分のその世界の善意をなんの衝突もなく一点の曇りなく突っ走っていけて、ひいてはコロナ終息のお祈りを捧げるというような善意ながら意味のないことをするんだと思います。
いや指導者様はマジで心根は天然記念物レベルのいい人なんですよ。世間体と善意がずれているだけで。あと性格も世間体とずれている故の独りよがりが人によって見えますが。いや基本的にマジで献身的ないい人なんですよ。
コロナは、各宗教指導者様の祈りでは死なず、大川さんの信仰ワクチンにも臆せず、今も生きていて私の体を蝕んでます。
各宗教では「世界の終末が近い、イエス様(など他の宗教の神的な存在)が降りてきて世界を終息させる」と内内で信者が恐怖しながら叫んでたんですよ。なぜ知ってるかって、だって私カルトに所属してましたし。
・コロナ:2019年12月-。500万人死亡。現在は殺傷能力を落としたのか、元々殺傷能力が弱かったのか、風邪・インフルエンザの隣に数えられる程度の脅威
・スペイン風邪:1918-1921年。5000万人死亡。当時の世界人口の4分の1が感染。第一次世界大戦中に流行ったのもあって凶悪な感染症に数えられる
・ペスト:1347-1353年。5000万人死亡。当時の世界人口の4分の1が死亡したという歴史的に見ても最悪な感染症
結果だけを見ればコロナごときにはなります。
ただスペイン風邪は人と動物関係なく菌が移動できるので、動物からもスペイン風邪がじゃんじゃん感染してたので感染力は明らかにスペイン風邪の方が上。コロナ初期から私はコロナごときとは思ってました。
ペストで世界の人口の4分の1が死亡するという地獄があってもイエス様はまだ世界の終末ではないとお考えになって空から出てきませんでした。コロナごときで世界の終末が来るわけありません。イエス様の貫禄が違います。
とまあ、信者達はガチでスペイン風邪・ペストの知識がないので、コロナが最強で怖いわと怯えるわけで。手元のスマホでちょっと調べりゃわかる話じゃん。あなたたちの理論であってもコロナよりすごいの過去にあったからコロナごときで来るわけないじゃん。というか終末そのものが毎回外れまくってるから終末論からしてそもそも馬鹿らしいじゃん。信者達はスマホを持っていても何も学ばず、信者のまま妄信し続けるという。
コロナ、マジで終わってほしいなぁ。
コロナですが生きてます
某大川さんが信仰ワクチンでコロナを終息させるとおっしゃっていた時期がありましたね。
そうして欲しかったです。
コロナで今も色々手間です。
私はコ□ナで死んでるかもしれません。
土曜からコロナを引き始めて現在です。
冬場というのがあり、コロナの療養難易度が高いです。
一度寝たらのどにたんが絡まって死んでいるかもしれません。
明日このブログを更新します。もしできていなければ死んでいます。コロナ完治したら記事消しますね。
このブログを読まれる皆様は向上心があって私は好きです。
・こちらの記事を参考に免疫力を付けて
過ごされるようお願いいたします。
終末論はおかしい
なぜか大抵のカルトは終末論を採用しています。
終末論とは、神にとって現代は倫理的に荒廃して見るに堪えないので世界の終りの日(終末)に一部の聖人を除いて全てを滅ぼす、という論です。明日にも世界の終わりが来るかもしれないので、それに備えて備蓄したり早く徳を積んで聖人に至ったりしよう、という風に教団は信者に説いています。
終末論のタイプ
終末論には大雑把に二つのタイプがあります。期限型:世界の終わりの日にちが決まっている。
不明型:世界の終わりがいつかわからない。
| 終末論期限型の信者の思考 終末前:決められた終末の日に向けて備蓄や善行に励もう。 終末後:終末期限日には何も起こらなかった。終末は元々なかったのではなく、教団の我々の願いが聞き届けられたので期限日に何も起こらなかったのだ。我々の信仰が薄れる前に教祖が次の終末の日を予言された。 終末論期限型について思う所 |
| 終末論不明型の信者の思考 いつ来るかわからない終末の日に備えて備蓄や善行に励もう。 終末論不明型について思う所 |
終末論を信じている人の実例
終末論は上記のような感じに論理が破綻していて、聞くだに馬鹿々々しいです。もし終末論を信じているとしたら、頭の論理的な回路がおかしいと自分から言っているようなものです。しかし信じられないことに本当にこの終末論を信じている団体も信者も実在します。ヘヴンズ・ゲート事件
1997年アメリカにて、地球がリセット(一掃)される前にヘール・ボップ彗星と共にやってくる宇宙船に魂を載せるため、宗教団体ヘヴンズ・ゲートの指導者アップルホワイトと38人の信者が計画的に集団自殺(洗脳による殺人と同じ意味)を遂げた事件。
ヘヴンズ・ゲート事件はカルトの悪性を世界に知らしめた有名な事件。
指導者アップルホワイトの思想スピーチ
https://youtu.be/AqSZhwu1Rwo
https://youtu.be/rZnBkdFooFU
私の実例。末日聖徒イエス・キリスト教会
私が所属していた末日聖徒イエス・キリスト教会では終末論不明型が信じられていました。信者の皆は教会で言われる終末論不明型については、思考が忙殺されるほど数多くの教義の中の一つとして埋もれつつも、気持ちだけは本気で信じられている教義、という感じでした。つまり深くは考えてないけど実際に正しいことだと信じてはいる教義です。(まあ信者は「幼子のような信仰」を持って、教義に対して疑念を抱かないで無心で守るのが美徳だと常日頃から教えられてるんで、「自分はわかんないけど教会が言うから正しい」っていう思考回路になっている人が大半ではあります)
私は信者に「いや終末論はあからさまにおかしい」と上記の内容を伝えたのですが、大半の信者は自分の思考を捨てているらしく、教会はこういう風に素晴らしいと論点をすり替えて話を聞こうとしませんでした。一人の高校生の信者が聞いてくれましたが、教会ヘイトが爆増して人格を持ち崩してて、私は正直少し後悔しました。
「信じる者は救われる」は真実である理由
神を信じることで体や精神が劇的に治るという「奇跡」が起きている人は信じがたいですが確かに実在します。
私とこのブログの読者様にはもう神を信じるよう努力しても奇跡は起きないと思います。
奇跡が起きるには条件があります。
信仰によって身体的に奇跡が起きたという二人について最近思いにふけることがあったのでしたためます。
「信じれば救われる」事例
聖句の中の「信じれば救われる」という内容の代表例はマルコによる福音書5:25-34でしょう。 私はこの聖書の物語の内容が紀元前後のパレスチナで実際に起きたんだと豪語するわけではないです。聖書は信用してないです。
しかしこの物語の女性のような奇跡的な癒しは実際にあり得ます。
「信仰によって救われた」と言う人
末日聖徒イエス・キリスト教会の場合私の元婚約者は学生時代にスポーツのし過ぎで腰痛になり、様々な整体に行きましたが治らず。
末日聖徒イエス・キリスト教会を信仰し、腰痛を和らげてくれるようにとお祈りすることで実際に腰痛が和らぎました。
腰痛が和らいでくれるのを感謝するように、元婚約者は末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰に強く立ち返りました。
(ついでに信仰心の持てない私を断捨離して、信仰心はあるけれどモラルも生活能力も低い男性と結婚しました。彼女は「信仰を選んだ」と言っていました、この言葉は暗に私への未練も含まれているようにも感じます。現在彼女は末日聖徒イエス・キリスト教会の不活発会員です。不活発会員になるくらいなら私と結婚した方がよかったのに、と時折思います。彼女の存在はこのブログを始める原動力の一つです。ああ、私も結婚がしたい。)
生長の家の場合
寝たきりのご老婆で医者にも見放されていました。
しかし生長の家を信仰することで体が起こせるようになるほど回復。
ご老婆にとって体が動かせるようになるのは奇跡でした。
実際に信仰をすることによって体が治ったという事例があります。
病院の医療では治らなかったものが、神への信仰に身をゆだねることによって体が良くなっていったのです。
これは現代科学では到底説明できない神からの力としか言いようがありません。
「奇跡」は自身の無知と思考放棄によって生まれる
上文では現代科学では説明できないと載せましたが、いいえ、神への信仰により体が治った事例は科学では説明できないということはないです。私はカルト肯定の記事など書きません。皆様がよく耳にしたことがあるプラシーボ効果という言葉で簡単に説明ができます。プラシーボ効果とは、偽物の薬であってもその薬が体にいいと信じることで実際に体が治ってしまう、という効果のことです。
神を信じれば自分が治ると信じ、実際に神への信仰をする機会に没入するたびに自分がプラシーボ効果により実際に治っていくのです。
マルコによる福音書5:34
イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
(あくまで私の知る範囲ですが)カルト信者は体が治る、精神が治る当の出来事に出会うとそれを「奇跡」と呼び、大事に証言されます。
つまりカルト信者はプラシーボ効果という言葉を本当に知らないので、体・心が治ったという(彼らにとって)説明できない素晴らしい出来事は「奇跡」と呼ぶことでしか表現できないのです。それはまるで女子高生が出来事があるたびに言いまくっている「やばい」と同じ感覚で、かなり軽度に使われます。
しかしもしプラシーボ効果という言葉と意味をカルト信者がしっかり知っていたとしたならば、神への信仰に対して「この信仰はプラシーボ効果のために過ぎない」との疑念が生まれてしまい、神はカルト信者に十分な癒しを与えることができなかったでしょう。
神からの癒しを充分に受けるには、プラシーボ効果という言葉を学ばず、幼子のように神を純真無垢に信仰していなければなりません。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2011/04/become-as-a-little-child?lang=jpn
その幼子のような信仰を持つ代償は、カルトは何も語りません。その幼子のような信仰により無知と浮世離れが生じひいては人間性が欠如して人間的に歪になるという代償は、「奇跡」によって支えられている人の前では無粋なのでしょう。
全知全能の神は確かに信者の精神と体を癒しますが、信者の人間性の欠如を直すことは一切しませんでした。まるで神は自分の信者が人間性のなさで滑稽に問題を起こすのが楽しいので癒しと無知を押し付けてほくそ笑んでいるかのよう。
その信仰に干渉すべきかどうか
私(あるいは読者のあなた)は幼子のような信仰により救われている人間を目の前にして、その信仰を「くだらない」と説き伏せて信仰の保護を消して病気に落とすべきか、信仰に触らずにほおっておいて神に救われたままにするべきか。これはかなりセンシティブな問題です。カルト信者は信仰の保護がないと生きられないように人間性を殺されています。社会の不安を教え込まれ、世の中を世俗とさげすんでカルト社会に埋没しています。
そういうカルト信者が信仰の保護をなくして社会で一人前に生きられるのでしょうか。
いや、遅かれ早かれ社会で一人前に生きなあかんやろ当然や、とは思います。奇跡で体が治っているからとか関係なく、大抵のカルト信者には信仰が誤っていると説き伏せるべきでしょう。しかし信仰がなくなった初めは大失敗するのがあからさまに目に見えているので、独り立ちするまでは可能な限りその脱カルト信者を周りの理解者がフォローすべきだと思います。
精神に問題があって人間性に欠陥のあるカルト信者の場合は信仰の問題を説き伏せるべきではないのではないかと思います。その精神疾患のカルト信者にとってどの人生が最高の幸せかを考えた場合、そのカルトを信じていることが最高の幸せだと私は考えるからです。
信仰を説き伏せるのは難しい
カルトの洗脳は根深いです。私の元婚約者のカルト信者は私の口では説き伏せられませんでした。
もしこのブログをもっと早く作り、彼女に見せて、カルトを脱会させられていたら、私は彼女と結婚して普通な幸せを享受できていたのに。このブログを書く時、少しだけそういう思いがよぎります。
私はなのですが、人が「幸せ」と言っている時は、その幸せという言葉の背景には何が足蹴にされているのかをきちんと聞くことにしていて、その幸せが長い目から見て続くのか道理的に正しいのか判断するようにしています。
カルト信者の「幸せ」は、世俗にまみれてないから幸せ、という選民意識からくる場合が大半なので、カルト信者の「幸せ」は非社会性の象徴であり、発言した時点でもう手遅れなくらいすでに人間的に持ち崩しています。
もしあなたに大事な人がいて「カルトにいて幸せ」と澄んだ声で言っているのであれば、その人にこのブログを見せて洗脳を解いてあげてください。
旧統一教会に解散請求を検討している件について思うこと
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政府は早ければ10月にも東京地裁に解散命令を請求するかどうか検討していることがわかった。(動画より引用)
山上被告の事件が一年前なのに今更か、と一瞬思ったけれど、いやまあそうだよなぁ、と考えなおしたので、今回その話をば。
あらまし
22年7月08日 ①安倍晋三銃撃事件(元内閣総理大臣)23年4月15日 ②岸田文雄襲撃事件(現内閣総理大臣)
23年9月04日 ③旧統一教会解散命令の検討
①安倍晋三銃撃事件
安部元総理が演説中に山上被告に襲撃、ご逝去。動機は旧統一教会関係。
山上被告は犯罪者にもかかわらず英雄視される。
元にしろ総理大臣が殺害されたので山上被告は内乱罪(国家反逆罪、死刑か無期懲役しかない罪)。
旧統一教会側はあくまで山上被告が勝手に行った行動であり旧統一教会とは思想的に関わりないと主張。つまり間接正犯じゃないと自己弁護。
もしこの時点で旧統一教会が少しでも政治に対して非友好的な意見を公表してしまえば間接正犯を無理やり適用して解散させてたのではないでしょうか。
②岸田文雄襲撃事件
岸田総理が演説中に容疑者が襲撃、ご無事。動機は不明、容疑者は「弁護士が来てから話す」とのこと。山上被告のように動機を報道すれば英雄視されるとの懸念あり。
明らかに安倍晋三銃撃事件と酷似。
③旧統一教会解散命令の検討
安部元総理ご逝去より1年2か月後に旧統一教会解散命令の検討をするというのは察し。②岸田文雄襲撃事件との因果関係は何も記事にされてないけれど、演説中に襲撃されるようになったのは明らかに旧統一教会のせいなんで、政治家からの旧統一教会への恨みつらみはあって当然なんじゃないかと。
他に考えられること
・旧統一教会の重税に耐えかねた山上被告が安部元総理を襲撃した件は旧統一教会は関わりないと言ってたけど弁に無理があるし、というか明らかに関わりあるよね
・岸田現総理襲撃した容疑者の動機ってやっぱ旧統一教会なんじゃないかと疑うよね
そもそも旧統一教会にとって日本は「エバ国家」であり韓国に奉仕する立場なので無茶ぶりさせるべきだという姿勢を取り続けていたので、そこの所の膿が山上被告になりました。
政治家にとって旧統一教会は他の神道系の宗教と同等以上に政治活動を手助けしてくれて大いに恩があるのですが、元々の思想からして日本に友好的ではない団体なのと、これ以上に膿を出したら政治にとってまずいのとがあります。なので恩を差し置いてでも旧統一教会は解散に踏み切ろうとしているんだと思います。
旧統一教会について個人的に思うこと。この宗教はキリスト教じゃない
キリスト教の歴史の中にあって、民数記を論拠にカトリック教会の神父がインディアン全員に改宗か死を強要して大量虐殺したことなど、大抵の事件は聖書の中に主犯の論拠が載ってます。今回の旧統一教会の事件の思想を読み解くのは聖書からでは不可能です。あくまで私の範囲ですが、事件の思想を解くには教祖 韓鶴子の自伝というキリスト教とは直接関係してはない書物を読まなければなりませんでした。
私から見たら旧統一教会は旧・新約聖書を啓典としているようには感じないので、旧統一教会をキリスト教とは認めたくないです。旧統一教会はキリスト教の皮を被った別の宗教です。
旧統一教会によって厭宗教の風潮が強まるのはいいですが、旧統一教会がキリスト教だということで厭キリスト教の風潮が強まるのには私は納得できません。(一般人やクリスチャンにとってはキリスト教の歴史なんか知ったことではないので、キリスト教はカルトでやばいよねっていう話に落ち着いちゃうんでしょうけれど)
今の平和な日本で緩くやっている大半のキリスト教徒は、年に2・3度くらい気が向いたらに教会に行って良い話聞いて募金して帰ってきて、特に戒律もないという環境であり、毒素がないです。そんな毒素のないクリスチャンを「白人が罪もないインディアン虐殺したからお前も極悪人」「旧統一教会が安部元総理を殺したからクリスチャンであるお前も極悪人」「エホバの証人が慢性的に児童虐待してたんでお前も極悪人」と呼ぶのは全くピント外れなのではないでしょうか。
その緩くやっているキリスト教徒にまで、旧統一教会の仕出かしの余波の厭キリスト教風潮のあおりが迫って来るのは違う気がします。
このブログの読者にはそこの所の分別は完璧に付いているものだと信じています。
カルト信者を脱しても幸せになり辛い人たち
カルトに所属する人は、
・心象が全てという主義
・論理の跳躍による自己防衛
というのがしっかりできています。
カルトに所属するうちは、この2点がきちんと倫理的にガチガチに守られてるんで、人格が極端に崩れる問題はない。
下手に説得して仮にカルトを脱したとして、彼の論理を変えたわけではなく、あくまで情を逆撫でしてカルトが気持ち悪いと分からせただけで、彼の論理でカルトを脱したわけではない。
・心象が全てという主義
・論理の跳躍による自己防衛
この2点の傾向がまだある状態でカルト所属という意識だけを外すと、当然のこと倫理的なところから外れ始め、ひいて人格的に持ち崩して、世渡り下手で利己的な人間になりやすい。
きちんとこの2点をしっかり是正する必要があった。私はまだカルトの根深さを軽く見すぎてた。
カルトに所属していた頃は面倒みよかった愛情深かった人間が、カルトから外れたら他人の気持ちを考える心の余裕のない世渡り下手な人間になることがあった。
正直後悔してる。カルト舐めてた。
信者はどうすれば宗教から抜け出せるのか
信者が自宗教を適切に疑問に思い、宗教との共依存関係を断ち切らなければならないのですが、信者は自宗教を疑問視しないよう訓練されているので、かなり根気よく適切に宗教の全体像について教えて、自宗教のマインドコントロールを少しずつ解いていかなければなりません。
宗教は信者に不安を教える
宗教は信者に人生のあらゆる不安を教えます。対して信者は、その人生の不安を宗教によって解消しようとあがきますが、宗教ビジネスの都合上信者の不安が晴れてはならないので、信者の不安は晴れません。死後に不安がはれるという宗教からの弁を信じて生涯を過ごしますが、その信者の人生は宗教による現実的ではない不安で食いつぶされます。
信者は宗教にどう人生を食いつぶされているのか
普通の人は成長するにつれて、他人との適切な付き合いを覚えて、技能に敬意を払うようになり、性との適切な距離感を学んでいき、清濁含めて他人の人生を見・他人と比べて自分はかくあるべしと自分の人生を作り上げられるようになります。信者は宗教から人生の不安を提示され続けることで、一般的な他人は怖いので適切な距離が分からなくなり、経典を重視してしまい技能に敬意を払うリソースが薄くなったり、他人は性欲などないと思い込んで性に対して潔癖を持ってしまって異性と適切な距離感が取れなくなったりしてしまったりし、他人が適切には分からないため社会的な部分に生きる自分を適切に作ることができなくなったりします。全員がこの例に当てはまる訳ではないですが、おおむねこうなっています。
宗教は確かに信者の人間性を殺しています。また、信者は宗教が信者の人間性を殺し続けている構造に気付きません。
つまり信者は自分を不安にさせるために宗教に通い続け、自分の人間性が殺され続けていることに感謝をし、自分のような不安型の人間を一人でも多く作るために宗教にお金を払ったり布教活動を行ったりしていることになります。
信者は自分の宗教を適切に理解して宗教者になれるかどうかなのですが、これは難しいと私は感じています。
私が末日聖徒イエス・キリスト教会に通っていた頃に、なぜ自宗教が信者の人間性を殺し続けているのに誰も何も疑問に思わないのかという内容を、きちんと段取り持って詳細に親しい信者に話しました。しかし信者の誰も私の話をろくに聞きはしませんでした。代わりに(会ったこともない)イエス・キリストや神様がどのように素晴らしいかを浅く語って、信じることで救われているのだといいました。その信者はもちろん、パレスチナ(聖地イスラエル)で神がユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒に異なる啓示を与えて盛大に殺し合わせていた歴史を知らないので、イエス・キリストと神様の存在が歴史の中でどのようにセンシティブな立ち位置にいるのかは全く知りません。宗教が教えるままの純真な信者であり、宗教者ではありません。
私が何を言おうと信者には自宗教に疑念を抱かせるのは難しく、信者でいる限りは、正しく宗教を理解して宗教者にステップアップすることはほぼないです。
人間性が熟すると、
他人を適切に成長させるために適切に怒ったり悲しんだりできます。
他人からしたら、自分を思ってくれる良い人だと感じることでしょう。
信者は喜怒哀楽の基準を自宗教に委ねており、人間性が熟しにくいため、
自分が何となく気分を害されたから怒るという次元の人間も居たり、
自分を受け入れて欲しいという欲が強くて宗教知識マウントを取ったり、
他人を成長させるために怒ったり悲しんだりするも宗教基準なので浮世離れした怒り方と悲しみ方をして他人から疑問に思われたりされます。
他人からしたら信者は気のふれた人間だと感じます。