脱キリスト教カルトの会

キリスト教系カルトに苦しむ人が人生を取り戻すためのブログです

信者はどうすれば宗教から抜け出せるのか

 信者が自宗教を適切に疑問に思い、宗教との共依存関係を断ち切らなければならないのですが、信者は自宗教を疑問視しないよう訓練されているので、かなり根気よく適切に宗教の全体像について教えて、自宗教のマインドコントロールを少しずつ解いていかなければなりません。


目  次


宗教は信者に不安を教える

 宗教は信者に人生のあらゆる不安を教えます。
 対して信者は、その人生の不安を宗教によって解消しようとあがきますが、宗教ビジネスの都合上信者の不安が晴れてはならないので、信者の不安は晴れません。死後に不安がはれるという宗教からの弁を信じて生涯を過ごしますが、その信者の人生は宗教による現実的ではない不安で食いつぶされます。


信者は宗教にどう人生を食いつぶされているのか

 普通の人は成長するにつれて、他人との適切な付き合いを覚えて、技能に敬意を払うようになり、性との適切な距離感を学んでいき、清濁含めて他人の人生を見・他人と比べて自分はかくあるべしと自分の人生を作り上げられるようになります。
 信者は宗教から人生の不安を提示され続けることで、一般的な他人は怖いので適切な距離が分からなくなり、経典を重視してしまい技能に敬意を払うリソースが薄くなったり、他人は性欲などないと思い込んで性に対して潔癖を持ってしまって異性と適切な距離感が取れなくなったりしてしまったりし、他人が適切には分からないため社会的な部分に生きる自分を適切に作ることができなくなったりします。全員がこの例に当てはまる訳ではないですが、おおむねこうなっています。

 宗教は確かに信者の人間性を殺しています。また、信者は宗教が信者の人間性を殺し続けている構造に気付きません。
 つまり信者は自分を不安にさせるために宗教に通い続け、自分の人間性が殺され続けていることに感謝をし、自分のような不安型の人間を一人でも多く作るために宗教にお金を払ったり布教活動を行ったりしていることになります。

 信者は自分の宗教を適切に理解して宗教者になれるかどうかなのですが、これは難しいと私は感じています。
 私が末日聖徒イエス・キリスト教会に通っていた頃に、なぜ自宗教が信者の人間性を殺し続けているのに誰も何も疑問に思わないのかという内容を、きちんと段取り持って詳細に親しい信者に話しました。しかし信者の誰も私の話をろくに聞きはしませんでした。代わりに(会ったこともない)イエス・キリストや神様がどのように素晴らしいかを浅く語って、信じることで救われているのだといいました。その信者はもちろん、パレスチナ(聖地イスラエル)で神がユダヤ教徒キリスト教徒・イスラム教徒に異なる啓示を与えて盛大に殺し合わせていた歴史を知らないので、イエス・キリストと神様の存在が歴史の中でどのようにセンシティブな立ち位置にいるのかは全く知りません。宗教が教えるままの純真な信者であり、宗教者ではありません。
 私が何を言おうと信者には自宗教に疑念を抱かせるのは難しく、信者でいる限りは、正しく宗教を理解して宗教者にステップアップすることはほぼないです。




人間性が熟すると、
他人を適切に成長させるために適切に怒ったり悲しんだりできます。
他人からしたら、自分を思ってくれる良い人だと感じることでしょう。

信者は喜怒哀楽の基準を自宗教に委ねており、人間性が熟しにくいため、
自分が何となく気分を害されたから怒るという次元の人間も居たり、
自分を受け入れて欲しいという欲が強くて宗教知識マウントを取ったり、
他人を成長させるために怒ったり悲しんだりするも宗教基準なので浮世離れした怒り方と悲しみ方をして他人から疑問に思われたりされます。
他人からしたら信者は気のふれた人間だと感じます。